祇園甲部歌舞練場主庭修復ガイドツアー 京都[参加レポート]

祇園甲部歌舞練場主庭

祇園甲部歌舞練場とは、京都、祇園にある芸妓さんや舞妓さんが舞の公演をする劇場です。その裏手にあるお庭の修復状況を公開していただけるというので参加してきました。

江戸時代には建仁寺の塔頭(たっちゅう)だった場所

祇園甲部歌舞練場(以下、歌舞練場)のお隣、八坂倶楽部の建物でお庭の修復の概要を聞きました。どちらも大正時代の木造建築。重厚感あります。

祇園甲部歌舞練場と八坂倶楽部

歌舞練場の建物は、大正2年竣工の木造2階建です。庭園も同時に造られました。

歌舞練場と八坂倶楽部を含む敷地は、江戸時代には、建仁寺の塔頭(たっちゅう)だった場所です。寛政11年(1799年)江戸時代の出版物「都林泉名勝図会(みやこりんせんめいしょうずえ)」には、庭園と茶室が描かれています。庭園の池は、現在の庭園の池の形と良く似ています。織田有楽斎の茶室「如庵(じょあん)」も描かれています。

都林泉名勝図会には、現在ある滝は無いため、滝は、大正2年時に新たに作られたものと考えられます。

江戸時代からの庭園を改修して造られた庭園なのかは、まだ研究途中だそうです。江戸時代から残っている庭園だとすれば、ワクワクしますね。

今回の庭園修復は、単に壊れている箇所を修復するのではなく、大正2年頃の庭園に近づけることを主眼にした修復工事で、今年度で全体の二割が修復終了するそうです。

主な工事の内容は、次の3点

芝生園地と園路の高さの見直し

芝生は、表面の凸凹を直すためや、芝の密度を高くするために目土(めつち)を施します。そのため、何年もすると地面の高さが加えた土の分だけ上がっていきます。

その目土で増えた分を元に高さに戻したい、どこの高さが元の高さかを探っていきました

地割(じわり)の明確化

園路には、砂利が敷かれています。芝や苔が園路の中まで入ってきたり、逆に園路の砂利が植え込み地にまで入ってしまったりと、園路の境界がはっきりしない状態でした。曖昧になってしまった園路をきちんと区分けしていきます

既存樹木の整理

大きくなりすぎてしまった樹木を剪定したり、密集しすぎて景観を損ねている樹木を間引いたりします

八坂倶楽部

考古学的手法を用いての調査

実際にお庭に出て、説明を受けました。池を中心とした池泉回遊式庭園です。いくつかのポイントで解説していただきました。

庭を横断するように東西にトレンチを掘って、本来の芝地の地面の高さ、池の底の深さを探りました。

トレンチ

掘ることによって、地割の変遷が分かります。考古学的な手法です。

掘ったときに一緒に出てきた器です。その器の染め付けの様式で明治期のものか、昭和期のものかがわかります。その器が埋まっていた土の層がいつの時代の層かを推測することができます。

トレンチ

したの写真では、赤土の層がはっきりとわかります。写真左の赤土が2層になっているので、

2回造成されたと考えられます。京都では、コケを貼る時に赤土を使うそうです。知らなかった。だからコケを貼っていた場所ではないかということでした。

赤土の層

赤土が丸く出ている箇所は、木を植えた根鉢の跡。ここに何か樹木が植えられていたとわかる跡です。こんなにはっきりとわかるんですね。

しかし、庭師は、発掘もできないといけないという。多才さが必要ですね。

庭園内で使われている京都産の名石

右が白川石で、左は、太閤石。白川石は、京都・白川の上流で採れた石。太閤石とは、豊臣秀吉の時代に切り出された石です

白川石と太閤石

庭園の一番奥にあたる隣地との境の塀側では、管理用通路を造っている途中です。通路脇の石積みに使われている石は、庭園内にあった庭石を再利用して積んでいます。なるべく加工しないように積んでいるので難しい作業です。

石積み

地割作業を具体的に解説してもらいました

園路である砂利を敷いている所と植栽地であるコケを貼っているところの区別がはっきりしていません。瓦を土留めに使っているのですが、土留めの機能を果たしていない状態です。土を瓦の下にまで切り下げて、コケを貼り直していきます。

園路と瓦土留め

樹木の整理

書院の建物の前には、北山杉が密植されています。いつ、誰が植えたのかわからないそうです。書院と茶室の建物が、杉に隠れて見えなくなっているので、本数を減らして、鬱蒼とした感じをなくします。

北山杉

エノキの巨木があります。枯れ枝が多く、切除しました。かなり大きな枝を切った跡があります。残った枝も上側が枯れていたりで、なかなか厳しい状況のようです。このお庭のシンボルツリー的存在なので、がっばって、生きて欲しい。

エノキ

最後に

ご案内くださった藤津さん、植藤造園のみなさん、日本庭園・歴史遺産研究センター所長の仲

隆裕先生、所員の方々、貴重な機会をありがとうございました!

祇園甲部歌舞練場 主庭修復ガイドツアー

参加日時 2023年12月18日 14時〜

赤いバラだけのバラ園 「レッドローズガーデン 」 ホテルニューオータニ東京

ホテルニューオータニ

ホテルニューオータニ東京の中庭に、赤いバラだけのバラ園があります

フラワーデコレーターのケネス・ターナー氏のデザインです。春と秋に限定公開されます。赤いバラ約30種類、2000株が咲き揃います。バラ園というと色とりどりのバラが咲き誇っているイメージがありますが、ここは、赤いバラのみ。思い切った手法だなと思いました。それに赤バラだけで30種類以上の品種があることも驚きです。早咲きや遅咲き品種もある中で、なるべく同じ時期に開花する品種を揃えているのだと思います。

2000年11月に開園。ホテル宴会場の3階屋上にあたる場所にバラ園があります。建物の屋上部分に土を入れるのですから、そんなに土量を入れるわけにはいかない。隣の宿泊棟で日陰になる時間も多いし、バラの生育には難しそうです。そんな環境で、春と秋に花を揃えて咲かせるのは、すごい管理技術だなと感心します。

レッドローズガーデン

ホテルニューオータニ東京 レッドローズガーデン

東京都千代田区紀尾井町4-1 ザ・メイン3階 ニューオタニクラブラウンジ隣接

公開時期、入園条件など最新情報は 公式ホームページ

レッドローズガーデンで朝食を 還暦祝い 2022年10月9日

夫が還暦を迎えました。還暦祝いといえば赤いチャンャンコを連想します。赤から連想して赤バラを眺めつつのお食事でお祝いしました。

ガーデン脇にあるデッキで朝食をいただきます。雨の場合は、屋内での食事となってガーデンから少し離れてしまいます。お天気で良かった

レッドローズガーデン

朝食なので軽い食事と思いきや、さすがホテルの朝食です。コース形式で提供されて、ゆったりといただけます。内容もたっぷりでお腹いっぱいになりました。パンを食べきれなくて、持って帰りたかった。

前菜
サーモンとお野菜の前菜
卵料理
スクランブルエッグ
グリル料理
ソーセージとベーコンのグリル
パンとスープ
パンとパンプキンスープ

食事後は、ガーデンを散策

レッドローズガーデン

花盛りのバラをながめながらの優雅な朝食でした

御薬園(おやくえん) 会津松平藩 大名庭園

御薬園 池

大きな池を中心に池の周りを散策できる池泉回遊式庭園。会津産の薬草や会津以外の薬草を集めた薬草園もあります

江戸時代、会津藩祖の保科正之(ほしなまさゆき)が別荘として庭園を整備しました

その後、三代藩主松平正容(まつだいらまさたか)の時代に規模を拡大して大改修しています。作庭に関わったのは小堀遠州の流れをくむ園匠目黒浄定(めぐろじょうてい)と普請奉行辰野源左衛門(たつのげんざえもん)だと伝わっています

庭園の御薬園の名前は、二代藩主保科正経(ほしなまさつね)が園内に薬草園を設けたのことから始まります。領民を疫病から救いたいと各種の薬草栽培を始めました。三代正容公が幕府から高麗人参の種を譲り受けて試植し、広く民間にも栽培を奨励しました。幕府から下されたので御種人参(おたねにんじん)と称されました。

大きな池の周囲にはマツやモミの大木がどっしりとして景色を作っています

池のまわりの小道を歩くとアップダウンもあり景色が変わります。池のほとりにある御茶屋御殿では、庭を眺めながらお抹茶もいただけます。ごま羊羹付きです。(一席600円)入り口近くにあるので、ぐるっと一周して最後に一息つくのにオススメです

園内入り口すぐにある売店には、ミニ資料展示があったり、薬草茶を販売してあったりと訪れる価値があります

国指定名勝 会津松平氏庭園

所在地会津若松市花春町8-1
開園時間8:30-17:00(入園締切16:30)
公式サイトhttps://www.tsurugajo.com/oyakuen/

お抹茶・ごま羊羹

一席 600円 9:30-16:00 3月中旬〜11月末まで

入園記念証

300円 チケット売り場で申込ます。月ごとに花印が違います

御薬園 入園証

空間の広がりを感じる池 2022年9月10日訪問

池の周りの小道を散策。大木が多いけれども圧迫感を感じません。池の広がりが素敵です

御薬園 池

ちょっとした高低差を利用した、流れから池に落ちる水の音も清々しい

御薬園 滝

池に注ぎ込む流れが良い感じ

御薬園 流れ

薬草園には、会津産の薬草や他の地域の薬草が植えられています。ボタンがもともと薬草として中国から輸入されたのは知らなかった。

御薬園 薬草園
薬草園

戊辰戦争で楽寿園と御茶屋御殿は戦火を免れた

池の中島にある楽寿亭。

楽寿亭

欄干に戊辰戦争時の刀傷が残っています

楽寿亭 刀傷

入り口近くにある御茶屋御殿は、戊辰戦争時に新政府軍の負傷者の治療所に当てられたため、戦火を免れたそうです。

御茶屋御殿
御茶屋御殿内部

御茶屋御殿では、お抹茶とお菓子をいただけます

9月は通常、温かいお抹茶なんだそうですが、まだ暑い日だったので冷たいお抹茶も提供されていました。

お抹茶

売店が面白い

御薬園にちなんで薬草茶などが販売されています。普通のお土産やさんと違っていておもしろい。ちょっとした健康食品ショップです。

御薬園 売店

売店内の一角には、ミニ資料展示コーナーがあってこちらも面白い。古文書と薬に関する道具が展示してありました

御薬園 絵図
御薬園 展示物

町田ぼたん園 ブラタモリ「町田」の回で映った場所

薬師池公園

町田市は東京都なんですが神奈川県だと勘違いされることが多い市です。私も神奈川県民でしたが、神奈川でいいじゃんと思ってました。NHKブラタモリで、なぜ東京都になったのかという最後のほうで出てきたのが町田ぼたん園。
このぼたん園は自由民権運動の活動家で地元の名士だった石坂正孝の邸宅跡だったのです。
かつて東京西部に位置する三多摩地区(南多摩郡・西多摩郡・北多摩郡)は神奈川県でした。三多摩地区は東京都へ玉川上水を供給していた水源にあたるところ。玉川上水は町田が含まれる南多摩郡を通っていなかったのに東京へ移管されました。石坂と対立していた神奈川県知事と玉川上水を一括管理したい東京都の思惑が一致して町田は東京都になったとのことでした。


町田ぼたん園


ぼたん園の名前の通りボタン、シャクヤクが植えられている公園です。
ブラタモリで映っていたのはこの辺り

町田ぼたん園


石坂正孝邸宅跡の看板が新しくなっていました。ブラタモリの撮影があったからかなと思ってしまいます。

石坂正孝邸看板


ぼたん園は民権の森公園の一部で、隣接地には石坂正孝の墓があるそうです。
山百合がきれいだった。山百合は神奈川県の花

山百合
山百合

町田ぼたん園

4月中旬から5月上旬の花の時期は有料入園ですがそれ以外は無料です

東京都町田市野津田町2274-1

開園時間 8時30分〜16時

詳しいアクセスはこちら


薬師池公園


ぼたん園から徒歩10分くらいにある薬師池公園。こちらには、自由民権の像があります。石造で力強いモニュメントです。強度に難があるのか短管で補強されているのがちょっと痛々しい感じがします。

自由民権の像
自由民権の像


薬師池公園はブラタモリでは出てきませんでしたがご紹介します。元農業用の溜池だった大きな池をたたえる谷戸(やと)の景色が楽しめます。谷戸とは、丘陵地にはさまれた谷あいの土地のこと。水が集まるため畑や水田に利用されてきた土地です。現在は公園なので花菖蒲や蓮などの花々が楽しめる公園です。

薬師池公園
薬師池

花菖蒲田では株分け作業が行われていました。

花菖蒲

ハス田では、大賀ハスが見頃でした。

大賀ハス
大賀ハス


薬師池公園

東京都町田市野津田町3270番地

午前6時〜午後6時(6月から8月までは午前6時〜午後7時)

薬師池公園へは町田駅からバスで30分くらい。


町田駅周辺


ブラタモリ冒頭で紹介された JR町田駅南口の掲示物。町田市(東京都)と相模原市(神奈川県)の両方の掲示物があります

町田駅南口


JR町田駅前のデニーズ
ここが神奈川県だったとは知らなかった。町田駅の階段降りてすぐですの場所ですよ。

町田駅前デニーズ


町田駅前のバスターミナル

オレンジと朱色の車体は神奈川県民にはおなじみ、神奈川中央交通のバスです。神奈川県民には、かなちゅうの愛称で呼ばれてます。確かに東京都なのに、かなちゅうという神奈川のバスが走っているのに疑問を持たなかった!

かなちゅうバス

クレマチスの丘 ガーデンツアーに参加

クレマチスの丘

※ 2022年12月26日より、ヴァンジ彫刻庭園美術館/クレマチスガーデンは休館しています

静岡県に無償譲渡を提案していましたが、県議会は2023年度の予算計上を見送りました

あなたの静岡新聞記事より-

以下は2022年5月15日にツアーに参加した時の記事です

遅咲きのクレマチスが見頃の静岡県三島市にあるクレマチスの丘ガーデンツアーに参加しました。

クレマチスをメインにうたっている庭園って珍しいのではないでしょうか。バラ園がある庭園は多いですが。

ツアーガイドは、このガーデンの開園時から植栽指導をされている金子明人さん。NHKの趣味の園芸でも講師をされています。クレマチスの育て方の著書もあります。

日本のクレマチス

クレマチスはキンポウゲ科の植物です。日本のクレマチスの原種は、春から秋にかけて花が見られます。

日本のクレマチス原種カザグルマと中国の野生種ラヌギノサから大輪系のクレマチスが作られました。

カザグルマで天然記念物に指定された株があるなんて知りませんでした。奈良の個人所有地にある青いカザグルマなんだそう。見てみたいけど、ガッチリ人が入れないようにしてあるそうです。そりゃそうでしょう。人が入ってきたら荒らされるし、盗掘も心配だから。

品種の判定は、しべの色、花弁の先がとがっているか丸いかなどで判定します。「うちの白いクレマチス、何でしょうか?」と言われても、わからないよというお話でした。

花盛りのクレマチス

ガイドツアーで案内された花の中で私が気に入ったお花をご紹介します

千葉のカザグルマ

千葉に自生するカザグルマ。自生地では保全活動もされているそうです。

カザグルマ
カザグルマ

テッセン

雄しべが弁化して花粉がでないためタネができません。

つぼみ上向き花が咲くと重みで下がります。

テッセン
テッセン

マジックフォンテーン

万重咲(まんえざき)という咲き方です。雄しべが見えない。花の中から次々と咲いてくるので一月くらい花を楽しめます。

ポンポン型でかわいい。中からどんどん開いていくってどういう事なんでしょう?面白い咲き方です。この花の形、好きです

マジックフォンテーン
マジックフォンテーン

龍口(ろうぐち)

濃い紫が美しい。この色に惹かれます。

日本の育種家小澤一薫(いちしげ)さんの作出した品種。小澤さんは、神奈川県川崎市に住んでいました。小澤さんが作出したクレマチスには地元の地名から品種名をつけています。龍口の滝からとって命名。うどんこ病になりやすいのが弱点。似た花では、クリスという品種がうどんこ病に強くて育てやすいそうです。

龍口
龍口

ブルーベル

木立性(こだちせい)のクレマチス。

クレマチスは、全部ツル性かと思ってました。木立性の品種もあるんですね

ブルーベル
ブルーベル

プリンセス レッド

香りの良いクレマチス。香りがある品種があるのは知りませんでした。流通量が少ないとのこと

プリンセスレッド
プリンセスレッド

パープルスター

多花性。花後に切っても切っても咲いてくる。お花が長い期間続くのは、良いですね。育てやすそう。

パープルスター
パープルスター

ルイーズ ロウ

一株に一重、半八重、八重の花が咲きます。一株でいろんな咲き方を楽しめるのは、面白い。

ルイーズロウ
ルイーズロウ

クレマチス仕立て方、色々

クレマチスはツル性の植物なので何かにからませて栽培します。その仕立て方法をいくつか見ました。

鉢に篠竹(しのだけ)支柱

篠竹を鉢の隅に立てたあとに篠竹どうしの頂点でしばっています。篠竹はしなるのでこのような仕立てが可能です

篠竹仕立て

クレマチス二種仕立て

縦長の金属製の支柱に2種類のクレマチスを絡ませています。下の写真は大輪系のクレマチスと小ぶりの花のクレマチスを合わせています

クレマチス二種

大樹を支柱に

これは大きな木がある広いお庭でないとできませんね。木の幹にシュロ縄を巻き付けてそれにクレマチスをからませています。

大樹の幹とクレマチス

バラと組み合わせ

ツルバラとクレマチスは王道の組み合わせ。先生は、クレマチスをバラに絡ませてはダメとおっしゃる。ブロック分けをして、バラのエリア、クレマチスのエリアに分けなさいと。

私の職場では、バラに絡ませてしまっています。ブロック分けするスペースがないので。

バラとクレマチス
バラとクレマチス

ガーデンツアーのあとには、金子先生によるミニ講座もありました

クレマチス・バラもきれいですが、とても手入れの行き届いた芝生が広がる気持ちの良い空間です。

クレマチスの丘
クレマチスの丘

アクセス

新幹線三島駅北口出てすぐのバス停から1時間に一本の無料シャトルバスが出ていて便利です。車を運転できなくても行けるのがうれしいです。

無料シャトルバスの時刻表など詳しいアクセス方法

バスがクレマチスの丘に到着すると、どっと人がチケット売り場におしかけて並びます。対面で販売対応する窓口が一つだけです。チケット予約決済サイトのアソビューなどのサービスを使って事前決済してくれるとありがたいのですが。ガイドツアーの時間が決まっているので焦ります。

参加日時: 2022年5月15日

参加料 : 1700円 入園料込み ガーデンツアー、ミニ講座、お土産つき

皇室の別荘 武庫(むこ)離宮の遺構が残る 神戸須磨離宮公園2–潮見台から傘亭

割れた基礎

武庫離宮の庭園を宮内省内苑局局長として関わった福羽逸人。関西方面の職人に対して偏見があったようで、武庫離宮の造営時には、東京から職人をつれていきました。

皇室の別荘 武庫(むこ)離宮の遺構が残る 神戸須磨離宮公園1–正門から中門まで

須磨離宮公園

武庫離宮は、大正3年(1914)に天皇の宿泊施設として造営されました。建物は昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまいましたが、庭園部分は造営当時のものが残っています。