武庫離宮は、大正3年(1914)に天皇の宿泊施設として造営されました。建物は昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまいましたが、庭園部分は造営当時のものが残っています。
現在は、神戸市須磨離宮公園として利用されています。
空襲後、神戸市に下賜され、米軍に接収され、射撃場となっていました。接収解除後、昭和34年(1959)に神戸市立須磨離宮公園として整備され、開園しました。
離宮当時の庭園設計を監督していたのは、宮内省職員、福羽逸人(ふくばはやと)。新宿御苑の造営、運営に長く携わっていた福羽の関わり方がわかる庭園です。
離宮当時のものと推定されている樹木、構造物をご紹介します。
正門と石垣
門柱と石垣は離宮時代のもの。門扉は新しいものです。石造りの飾りが美しい門柱です。
R状の曲線が美しい石垣
石垣と門柱の収まり
正門から海の方へまっすぐな道があります。離宮道と呼ばれ、両側にマツが植えられています。
腰ぐらい高さのマツ(小松)を植えるのが明治から大正にかけて流行していました。現在のは、大きめです。
カイヅカイブキ
正門から園内へ入る馬車道に、カイヅカイブキの列植があります。カイヅカイブキは戦後、大流行した庭園樹。カイヅカイブキの生け垣を見ると、昭和だなと思っていました。大正時代にもあったのですね。
写真左側がカイヅカイブキ
ヒマラヤスギ
正門近くにあるヒマラヤスギ。真ん中の幹が枯れてしまって、残念な樹形になっています。新宿御苑にもたくさんヒマラヤスギがあります。福羽逸人が手掛けたんだなとわかる木です。
馬車道の排水溝
縁石にも切り欠きのある排水溝です。
東京のデザイン 装石
馬車道沿いの斜面には、装石があります。装石とは、石と石をモルタルで接着して、大きな岩に見せる手法です。一つの石かと思ったら、くっつけているんですね。これは、東京のデザインで、関西ではないそうです。福羽の指示なのでしょう。
中門と白壁の塀
手前の広場は、車返しの場所。正門から馬車で入り、ここで馬車をUターンしていたのです。
漆喰の壁は、白くきれいな壁だったので最近、補修されたのでしょう。
中門と伽藍石
庭石として伽藍石を使うことが大正時代に大流行しました。伽藍石は、古い社寺の礎石。庭石として転用するようになって、足りなくなったので、製作されるようになりました。ここにある石は、天端かが平らなので、庭石用に製作されたとわかります。
この記事は、下記講座の参加記録です
京都造形芸術大学 藝術学舎
「福羽逸人と宮廷の庭–京阪神の庭園を楽しむ」
講師
京都芸術大学教授 尼﨑 博正先生
京都造形芸術大学非常勤講師 町田 香先生
2019年11月30日〜12月1日
投稿者プロフィール
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飯塚裕美(蛙号 カエラ)
お庭めぐりスト
カエルグッズ大好きのカエラー 樹木医
お問い合わせはメールでお願い致します
tukinuki@rmail.plala.or.jp
詳しいプロフィールはこちら
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