武庫離宮の庭園を宮内省内苑局局長として関わった福羽逸人。関西方面の職人に対して偏見があったようで、武庫離宮の造営時には、東京から職人をつれていきました。
福羽は京都皇宮外苑改修にも携わっていました。その際には、京都の植木職人に対して、工賃が東京よりも高く、巨樹移植の技術が低いと断じています。石組みについても同じで、信頼できないと言っています。武庫離宮の造営時も、京都と同じで東京から職人を連れてきました。施工に携わった植木職人の豊田弥兵衛は、東京出身で当時、須磨町に住んでいました。
福羽は関西方面に人脈が無かったのかなと思いました。また、自身の庭園技術を見る力に自信があったのですね。
潮見台の腰かけと手すり
石作りの腰掛け
腰掛けの石柱には、面とりがありました。細かい加工です。
石積みの太い目地が特徴的
離宮当時は、眺望が良かったそうですが、今は海が少ししか見えません。
燈籠と手水鉢
燈籠も手水鉢も大きい。大正時代は、大きい燈籠が好まれました。
手水鉢の角が欠けています。火が当たって割れた欠け方だそうです。空襲で本館が焼けたときの火が当たったのだと推測できます。
遂道
一説によると有事の際の避難路として造られたとか。
アーチの石組みが美しい
傘亭
青銅製の柱は残っていたが屋根部分は空襲で焼失していました。
屋根は復元されました。
青銅製の擬木は、精巧なつくりです。コンクリート製の擬木はよく見ますが、青銅製は初めて見たかも。
行平月見の松(現存しない)のそばに建てられた傘亭から、海が見えて眺望が良かったのでしょうが、海側に視界を覆ってしまう石碑が建てられていて、海が見えません。とても残念。
傘亭の先にある月見台休憩所から見た眺め。穏やかな瀬戸内海が望めます。
鞍馬石の石灯籠
鞍馬産の石製の石灯籠。本場物は、本鞍馬といいます。18世紀くらいから、京都の庭石として使われだしました。明治の末から大流行しました。
基礎部分が割れています。曲面を持って割れているのは、火が当たって割れたときの割れ方だそうです。
園路
傘亭近くから新池へ下りていく石段。左右、交互に踏む石段になっています。
この記事は、下記講座の参加記録です
京都造形芸術大学 藝術学舎
「福羽逸人と宮廷の庭–京阪神の庭園を楽しむ」
講師
京都芸術大学教授 尼﨑 博正先生
京都造形芸術大学非常勤講師 町田 香先生
2019年11月30日〜12月1日
投稿者プロフィール
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飯塚裕美(蛙号 カエラ)
お庭めぐりスト
カエルグッズ大好きのカエラー 樹木医
お問い合わせはメールでお願い致します
tukinuki@rmail.plala.or.jp
詳しいプロフィールはこちら
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