江戸時代にブームとなった園芸文化。その中でツツジについての講座を受講しました
日本の固有種が多いツツジのなかま
園芸で利用されたツツジは、日本に自生していたツツジが元になっています
レンゲツツジ レンゲツツジ亜属レンゲツツジ節
冬季は葉が落ちてしまう落葉性です。シャクナゲのように1つの蕾から多数の花が咲きます。毒があり、葉や花びらだけでなく花の蜜にも毒があり、食べると死亡してしまうほどの毒だそうです
ヤマツツジの仲間 ツツジ亜属ヤマツツジ節
里山を中心に17種が自生しています。夏に枝先に花芽ができて、冬季に枝の下部が落葉しても枝先に葉が残ります。花と葉が1つの蕾の中に入っています
・ヤマツツジ
日本で最も広く見られるツツジ
・モチツツジ
葉や葉柄、花柄にネバネバした毛があるのが特徴。
・キシツツジ
渓流沿いに生育しています。葉が細いのが特徴です。モチツツジの渓流形
・サツキ
背が低く、葉が細いのが特徴です。渓流沿いに生育しています。ヤマツツジの渓流形
亜属、節が違うと交配はできません
江戸のツツジ流行は霧島から
江戸時代の園芸植物は、自生の植物の突然変異を利用しています。斑入りの葉っぱや八重咲の花が突然変異で現れたのを楽しみました。ツツジも自然交雑で生まれた品種や突然変異で生まれた八重咲の花を鑑賞していました。
霧島は、真っ赤な花のツツジです。現在は、本霧島と呼ばれています
江戸染井の植木屋、伊藤伊兵衛の庭に1656年(明暦2年)に大阪から3株植えられました。
もとは、薩摩から大阪へ移入された木です。その木から取木で5株に増やしたうちの3株です。この霧島が評判となり、寛文から延宝(1661年〜1681)にツツジが流行し、様々な品種が生まれました。現在知られている八重、二重、絞りなどの花の変異は、すべてこの時代に発見されたものです。
クルメツツジは大正以降人気に
江戸では、1700年代には、流行が終焉しました。文政年間(1818〜1830)に染井の伊藤家から霧島の原木はなくなり、大久保がツツジ栽培の中心となります。大正から昭和にかけてクルメツツジが人気となり、江戸時代の品種は、栽培や生産が減少してしまい現在まで残る古木は少ないです。
クルメツツジも、江戸時代に作出された品種です。1840年頃に、久留米藩で作られ始めます。藩の留花(とめばな)として、外部に流出してはいけない樹木でした。明治時代に「錦光花」として県外にも紹介され、大正以降に人気が出ます。明治期に広楽園の赤司喜次郎(あかしきじろう)がクルメツツジの品種改良と栽培、通信販売を通じて全国に広めました。これまでに500品種以上が作出され、300品種が現存しています。
参加した講座
「江戸園芸 ツツジの園芸品種の発達」
日時 : 2023年4月22日 13:30〜15:30
場所 : 神代植物公園 (東京都調布市)
講師: 公益社団法人 日本植物園協会 倉重 祐二 氏