旧宮家の重要文化財 旧久邇宮(くにのみや)邸 一般公開 

旧久邇宮邸パレス

大正期に建てられ、重要文化財に指定されている旧久邇宮邸は、東京、広尾にある聖心女子大学構内にあります。久邇宮第二代、邦彦王(くによしおう)の旧邸宅の一部が残されています。

文化庁の重要文化財指定時の解説文では「和風基調で建築された宮家本邸の唯一の現存例であり、皇室建築の系譜を考える上で、高い価値が認められる」とあります。

重要文化財に指定されている建物は、御常御殿、小食堂、車寄せ、正門の4つです。

御常御殿(パレス)、小食堂

大学では、御常御殿(おつねごてん)のことをパレスと呼んでいます

旧久邇宮邸パレス

1924(大正12)年に建てられた久邇宮家の日常生活の場です。二階建の各部屋は、和風建築ながら天井が高く、皇室建築の特徴を表しています。

皇族ゆかりの菊紋章をあしらった蘭間や釘隠し、襖の引き手の装飾も皇族らしい意匠です。

寝室の格天井(ごうてんじょう)には、名だたる日本画家43名の描いた絵画がはめ込まれています。寝ながら絵画を鑑賞できるのですね。中には、寝た状態で鑑賞することを意識して、枝にとまった鳥を下から眺めている構図の絵画もあります。面白い。絵画の実物は、東京国立博物館に保管を依頼していて、ここには、レプリカがはめこまれています。

学生がお茶、お琴、日本舞踊の課外活動に使っているそうです。贅沢だなぁ。そのために重要文化財に指定される前に、耐震改修工事を行なっています。壁材の追加と屋根瓦の軽量化が行われました。

二階は、洋室が三部屋があり、寄木板張りの床、家紋をあしらった欄間、台湾風の天井など、和洋中のミックスされた空間です。

二階の外廊下には、ガラス戸がはめられています。大正期のガラスで割れてしまったら、

もう入手できないガラスです。雨戸の開け閉めを大学の警備員さんが担当されていますが、一番緊張するお仕事だそうです。

旧久邇宮邸2階

台湾風の意匠は、設計者森山松之助が取り入れたもの。森山は、台湾総督府庁舎などを手がけています。

小食堂は、寄木張りの床で、肘木(ひじき)に支えられた折り上げ格天井には、天井画が18点と豪華なしつらえです。家族用の食堂だったそうです。東側の壁側面には、和風の違棚、洋風の代理石のマントルピース、唐風の火灯窓とここでも和洋中の意匠が使われています。

小食堂の設計は、宮家造営課の設計とされています。

建物内の写真撮影は禁止とのことで、建物の外観のみ撮影許可がありました。

車寄せ(クニハウス)

大学では、クニハウスと呼んでいます。

久邇宮邸本館の表玄関で1918(大正7)年に竣工しました。創建当時と同じ場所に建っています。

久邇宮家の長女良子女王(後の香淳皇后)が皇太子殿下(後の昭和天皇)ご成婚の折、この車寄せから宮中へと御出立されたそうです。

葉山しおさい博物館の入り口で使われている車寄せの建物より豪華な建築。神奈川県葉山町にある葉山しおさい博物館の車寄せは、旧葉山御用邸付属邸の御車寄せを移築したものです。

こちらの建物内の見学はありませんでした

正門

久邇宮本館と同じ1918(大正7)年の建物。聖心女子大学の正門として現在も使用されています。大正時代の門が現役で使われているのは、すごいこと。

聖心女子大学 正門

正門を通り、学内へと入っていく道は、桜並木です。サクラの花の頃は、華やかでしょう。大正期の門をくぐり、桜並木の中を歩いていくなんて学生さんがうらやましい。

見学会の参加費は無料ですが、受付で寄付を募っています。1000円以上で久邇宮邸の絵葉書、3000円以上で久邇宮邸の天井画を集めた画集がもらえます

旧久邇宮邸天井画 画集

旧久邇宮邸(聖心女子大学パレス)一般公開

大学職員の方が、見学案内をしてくださいます

2024年は、3月21日、22日、25日、26日、27日で、午前と午後の回がありました。

2月7日から、大学ホームページから申し込み開始で、あっというまに定員になったくらい人気です。

大温室の裏側がおもしろい 新宿御苑バックヤードツアー

ブーゲンビリア

通常は、入れない温室の裏側を案内してくれるというガイドツアーに参加しました。

新宿御苑 大温室
大温室

大温室脇のバリケードをしている道から入っていきます。ワクワクしてますね

新宿御苑

現在の温室は、2012年完成の三代目。ガラスは、強化ガラスのオーダーメイドの特注品。天井付近には、開閉式の窓があって、温室内の温度が23℃になると開きます。一粒でも雨が当たったり、風が強い日には、閉まります。

新宿御苑 大温室 

大温室の熱源は、ボイラーです。ボイラーで沸かした温水を管を通して温室内の空気を温めます。3台のボイラーを交代で使用。大きな煙突は、焼却炉じゃなかった。

倉庫には、洋ラン用植え替え資材を置いてあります。きれいに片付いています。さすがです

バックヤード 倉庫

バックヤードの温室は、11棟あって原産地の環境に近くなるように管理されています。洋らんが主で、約1200種類あって、そのうち600種類が原種です。

こちらの温室も、温度によって自動で窓の開閉がされています

バックヤード 温室

皇室由来の植物を守る

一つ一つの鉢に名札がついてます。名札に書かれているのは

属名 頭文字 大文字 + 種名 

種名の頭文字が大文字だと人工種(交配種)で、小文字だと原種(野生種)

「shinjuku 」と名前にあるのは、この新宿御苑で作出された品種です。明治期に海外から購入した新しいランは、ここで栽培されて新しい品種も作り出しました。御苑で栽培管理されたランは、宮中行事での装花として使われました。

ラン

珍しい植物たち

南米原産のパイナップルの仲間を紹介してもらいました

土は不要です。水やりは、葉と葉の間に水をためておきます。原産地では、この水の中にカエルがいたりするそうです。知らなかった。ハワイや沖縄で栽培しているパイナップルも同じ様な水やりをしているんだろうか

アナナスの葉

葉の上に花が咲くプレウロタリスの仲間。初めて見た。茶色ががった色で小さな花です。葉の上にちょこんと乗っかっている感じ。写真は、ボケてしまってうまく撮れませんでした。

プレウロタリス

花が終わって、葉の上に根がでてくると植え替えのサインです

この花にまつわる高円宮妃にまつわるエピソード。高円宮妃は、ランがお好きな方です。ランの展示会でこのランを出展。いつも新宿御苑のコーナーは、スルーされるのに、このプレウロタリスは、30分以上も見てくださってお話しできたそう。栽培管理されている労が報われる胸熱なエピソードです。

絶滅危惧種を守り育てる

沖縄と小笠原の絶滅危惧種をいくつか紹介してもらいました。新宿御苑は、日本植物園協会に加入していて、絶滅危惧種の栽培や保存の方法を全国の植物園と情報交換しています。栽培して増やした株を原産地に戻すことも行なっています。

オリヅルスミレ
オリヅルスミレ EW(全滅)
タイヨウフウトウカヅラ
タイヨウフウトウカズラ

加温の必要がない絶滅危惧種は、屋外で栽培しています

ハヤトミツバツツジ
ハヤトミツバツツジ
オキナグサ
オキナグサ

私の場合、お店のバックヤードというと、ゴタゴタしているイメージがあります。新宿御苑は、とても整然と並ぶ鉢たちで全く違いました。たくさんの植物をそれぞれに適した管理を少ないスタッフでされていて、頭が下がります。

ガイドをしてくださった根津さんは、冗談をまじえながら、植物への愛を感じられるお話しをしてくださいました。参加者の中には「リピートしたくなる」と言う方も。そのくらい楽しツアーでした。

新宿御苑 温室バックヤードツアー

第2水曜日 13:30〜(45分程度)

先着10名程度

毎月開催では、ないようです。詳しくは、新宿御苑のホームページイベント情報をご覧ください

都心に佇む洋館 九段ハウス(旧山口萬吉邸)

九段ハウス

東京、靖国神社近くにあり、オヒィスビルや学校に囲まれた場所にある古い洋館です。通常は一般公開されておらず、写真展が開催される機会に邸内に入ることができました。

昭和2年(1927)竣工のスパニッシュ様式の洋館です。「耐震構造の父」と呼ばれた内藤多仲の設計で、壁式鉄筋コンクリート造りで耐震、耐火性を重視しています。現在の耐震基準を上回る壁の厚さだそうです。

当時、大流行したスパニッシュ様式の意匠は、木子七郎と今井兼次によるもの。東京大空襲の戦火も耐えることができました。

戦火をかいくぐり、都心の開発圧力にも負けず、美しく歴史ある建物を残してくださって感謝です。

庭からの外観

玄関、階段の手摺りには、青い大理石が使われています。今だと採れない石じゃないかな?

玄関
二階への階段

ドアやスクリーンポーチの窓は、アーチ型でスパニッシュ様式の形

二階へ上がるとこの建物内唯一の和室があります

和室

2階には、ベランダの壁の凸型の窓が

外から見ると、十字型に。面白い

地下には、当時のボイラー設備が残されています。個人邸というよりビルの設備ですね

地下室の明かり取りの窓の鉄製柵が素敵

庭は、新しく和風庭園として造られました。東邦レオが京都の職人さんを使って施工しました。

九段ハウス

東京都千代田区九段北1丁目15-9

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祇園甲部歌舞練場主庭修復ガイドツアー 京都[参加レポート]

祇園甲部歌舞練場主庭

祇園甲部歌舞練場とは、京都、祇園にある芸妓さんや舞妓さんが舞の公演をする劇場です。その裏手にあるお庭の修復状況を公開していただけるというので参加してきました。

江戸時代には建仁寺の塔頭(たっちゅう)だった場所

祇園甲部歌舞練場(以下、歌舞練場)のお隣、八坂倶楽部の建物でお庭の修復の概要を聞きました。どちらも大正時代の木造建築。重厚感あります。

祇園甲部歌舞練場と八坂倶楽部

歌舞練場の建物は、大正2年竣工の木造2階建です。庭園も同時に造られました。

歌舞練場と八坂倶楽部を含む敷地は、江戸時代には、建仁寺の塔頭(たっちゅう)だった場所です。寛政11年(1799年)江戸時代の出版物「都林泉名勝図会(みやこりんせんめいしょうずえ)」には、庭園と茶室が描かれています。庭園の池は、現在の庭園の池の形と良く似ています。織田有楽斎の茶室「如庵(じょあん)」も描かれています。

都林泉名勝図会には、現在ある滝は無いため、滝は、大正2年時に新たに作られたものと考えられます。

江戸時代からの庭園を改修して造られた庭園なのかは、まだ研究途中だそうです。江戸時代から残っている庭園だとすれば、ワクワクしますね。

今回の庭園修復は、単に壊れている箇所を修復するのではなく、大正2年頃の庭園に近づけることを主眼にした修復工事で、今年度で全体の二割が修復終了するそうです。

主な工事の内容は、次の3点

芝生園地と園路の高さの見直し

芝生は、表面の凸凹を直すためや、芝の密度を高くするために目土(めつち)を施します。そのため、何年もすると地面の高さが加えた土の分だけ上がっていきます。

その目土で増えた分を元に高さに戻したい、どこの高さが元の高さかを探っていきました

地割(じわり)の明確化

園路には、砂利が敷かれています。芝や苔が園路の中まで入ってきたり、逆に園路の砂利が植え込み地にまで入ってしまったりと、園路の境界がはっきりしない状態でした。曖昧になってしまった園路をきちんと区分けしていきます

既存樹木の整理

大きくなりすぎてしまった樹木を剪定したり、密集しすぎて景観を損ねている樹木を間引いたりします

八坂倶楽部

考古学的手法を用いての調査

実際にお庭に出て、説明を受けました。池を中心とした池泉回遊式庭園です。いくつかのポイントで解説していただきました。

庭を横断するように東西にトレンチを掘って、本来の芝地の地面の高さ、池の底の深さを探りました。

トレンチ

掘ることによって、地割の変遷が分かります。考古学的な手法です。

掘ったときに一緒に出てきた器です。その器の染め付けの様式で明治期のものか、昭和期のものかがわかります。その器が埋まっていた土の層がいつの時代の層かを推測することができます。

トレンチ

したの写真では、赤土の層がはっきりとわかります。写真左の赤土が2層になっているので、

2回造成されたと考えられます。京都では、コケを貼る時に赤土を使うそうです。知らなかった。だからコケを貼っていた場所ではないかということでした。

赤土の層

赤土が丸く出ている箇所は、木を植えた根鉢の跡。ここに何か樹木が植えられていたとわかる跡です。こんなにはっきりとわかるんですね。

しかし、庭師は、発掘もできないといけないという。多才さが必要ですね。

庭園内で使われている京都産の名石

右が白川石で、左は、太閤石。白川石は、京都・白川の上流で採れた石。太閤石とは、豊臣秀吉の時代に切り出された石です

白川石と太閤石

庭園の一番奥にあたる隣地との境の塀側では、管理用通路を造っている途中です。通路脇の石積みに使われている石は、庭園内にあった庭石を再利用して積んでいます。なるべく加工しないように積んでいるので難しい作業です。

石積み

地割作業を具体的に解説してもらいました

園路である砂利を敷いている所と植栽地であるコケを貼っているところの区別がはっきりしていません。瓦を土留めに使っているのですが、土留めの機能を果たしていない状態です。土を瓦の下にまで切り下げて、コケを貼り直していきます。

園路と瓦土留め

樹木の整理

書院の建物の前には、北山杉が密植されています。いつ、誰が植えたのかわからないそうです。書院と茶室の建物が、杉に隠れて見えなくなっているので、本数を減らして、鬱蒼とした感じをなくします。

北山杉

エノキの巨木があります。枯れ枝が多く、切除しました。かなり大きな枝を切った跡があります。残った枝も上側が枯れていたりで、なかなか厳しい状況のようです。このお庭のシンボルツリー的存在なので、がっばって、生きて欲しい。

エノキ

最後に

ご案内くださった藤津さん、植藤造園のみなさん、日本庭園・歴史遺産研究センター所長の仲

隆裕先生、所員の方々、貴重な機会をありがとうございました!

祇園甲部歌舞練場 主庭修復ガイドツアー

参加日時 2023年12月18日 14時〜

日比谷公園 つつじ山 江戸伝統園芸ツツジが見られる

日比谷公園 つつじ山

日比谷公園内の一角に「つつじ山」のエリアがあります。ここには、江戸園芸で栽培されていた品種を見ることができます。あまり日比谷公園でツツジのイメージがなかったので「ツツジ山」の位置を確認することからスタートしました。

開園当時は賑わったつつじ山

江戸伝統園芸ツツジは、江戸時代中期頃に流行しました。江戸時代後期には、栽培の中心は、新宿大久保でした。新宿大久保には、つつじ園があり、江戸時代から明治初頭までツツジの名所となっていました。このつつじ園が鉄道敷設のため閉園となりました。そのつつじ園にあった江戸後期のツツジの園芸品種を買い上げて日比谷公園に植栽されました。

日比谷公園の開園当時は、見事な大久保のツツジが見られるということで「つつじ山」は、人気を博した名所となりました。

その後、関東大震災、第二次世界大戦と厳しい時代を経て、再生の取り組みもあり「つつじ山」では、今でも伝統的な園芸品種が見られます

江戸伝統園芸ツツジ

つつじ山で観察したツツジ達です。樹名板に伝統園芸品種とあるもの撮影してきました

江戸キリシマ系

江戸園芸ツツジの始まりは、霧島つつじから始まりました

‘日の出霧島’

日の出霧島

野生種 オオヤマツツジ

オオヤマツツジ系

‘小紫’ こむらさき

‘紫ざい’

キシツツジ系

‘若鷺’ わかさぎ

リュウキュウツツジ系

‘琉球絞’ りゅうきゅうしぼり

琉球絞

‘紫琉球’ むらさきりゅうきゅう

紫琉球

‘薄化粧’

クルメツツジ系

‘老の目覚め’ おいのめざめ

老の目覚

 

訪問場所

日比谷公園

日時 2023年4月18日

江戸園芸 ツツジの園芸品種の発達 神代植物公園[講座参加レポート]

ヤマツツジ

江戸時代にブームとなった園芸文化。その中でツツジについての講座を受講しました

日本の固有種が多いツツジのなかま

園芸で利用されたツツジは、日本に自生していたツツジが元になっています

レンゲツツジ レンゲツツジ亜属レンゲツツジ節

冬季は葉が落ちてしまう落葉性です。シャクナゲのように1つの蕾から多数の花が咲きます。毒があり、葉や花びらだけでなく花の蜜にも毒があり、食べると死亡してしまうほどの毒だそうです

ヤマツツジの仲間 ツツジ亜属ヤマツツジ節

里山を中心に17種が自生しています。夏に枝先に花芽ができて、冬季に枝の下部が落葉しても枝先に葉が残ります。花と葉が1つの蕾の中に入っています

・ヤマツツジ

日本で最も広く見られるツツジ

・モチツツジ

葉や葉柄、花柄にネバネバした毛があるのが特徴。

・キシツツジ

渓流沿いに生育しています。葉が細いのが特徴です。モチツツジの渓流形

・サツキ

背が低く、葉が細いのが特徴です。渓流沿いに生育しています。ヤマツツジの渓流形

亜属、節が違うと交配はできません

江戸のツツジ流行は霧島から

江戸時代の園芸植物は、自生の植物の突然変異を利用しています。斑入りの葉っぱや八重咲の花が突然変異で現れたのを楽しみました。ツツジも自然交雑で生まれた品種や突然変異で生まれた八重咲の花を鑑賞していました。

霧島は、真っ赤な花のツツジです。現在は、本霧島と呼ばれています

江戸染井の植木屋、伊藤伊兵衛の庭に1656年(明暦2年)に大阪から3株植えられました。

もとは、薩摩から大阪へ移入された木です。その木から取木で5株に増やしたうちの3株です。この霧島が評判となり、寛文から延宝(1661年〜1681)にツツジが流行し、様々な品種が生まれました。現在知られている八重、二重、絞りなどの花の変異は、すべてこの時代に発見されたものです。

クルメツツジは大正以降人気に

江戸では、1700年代には、流行が終焉しました。文政年間(1818〜1830)に染井の伊藤家から霧島の原木はなくなり、大久保がツツジ栽培の中心となります。大正から昭和にかけてクルメツツジが人気となり、江戸時代の品種は、栽培や生産が減少してしまい現在まで残る古木は少ないです。

クルメツツジも、江戸時代に作出された品種です。1840年頃に、久留米藩で作られ始めます。藩の留花(とめばな)として、外部に流出してはいけない樹木でした。明治時代に「錦光花」として県外にも紹介され、大正以降に人気が出ます。明治期に広楽園の赤司喜次郎(あかしきじろう)がクルメツツジの品種改良と栽培、通信販売を通じて全国に広めました。これまでに500品種以上が作出され、300品種が現存しています。

参加した講座

「江戸園芸 ツツジの園芸品種の発達」

日時 : 2023年4月22日 13:30〜15:30

場所 : 神代植物公園 (東京都調布市)

講師: 公益社団法人 日本植物園協会 倉重 祐二 氏

三原山の絶景をながめるなら 大島温泉ホテル 東京都大島町

大島温泉ホテル

春にはオオシマザクラの絶景を楽しめます。温泉は、早朝に大型船で着いた観光客でも日帰り利用できます。露天風呂から三原山ものぞめますが、山側のお部屋からの眺めが一番雄大な景色を楽しめます。

建物、施設は、昭和の国民宿舎を彷彿とさせます。リーズナブルなお値段で絶景を楽しめます。

伊豆大島 大島温泉ホテル

ホテル公式 ホームページ

宿泊プラン お部屋

テラス付き11畳和室付きプランを予約しました。客室は、山側と海側があり、三原山がのぞめるのは、山側です。ただし、予約時には、どちら側かを選べません。私は、早目に予約したので山側だったのかもしれません。

大島温泉ホテル11畳

お部屋に入ってから、すぐ目に入る窓からの三原山!

大島温泉ホテル

テラスは、屋外のバルコニーがあるわけではなく、屋内の広縁のことのようです。三原山に向けて椅子が置いてあり、ぼ-っとできます。

お部屋からの見た絶景が「もう、思い残すことない」と思えるほどの景色でした。

部屋のお風呂と洗面台のお湯は、温泉です。蛇口周りに温泉成分がこびりつてい取れないようです。

大島温泉ホテル洗面所
蛇口の温泉成分

源泉掛け流しの温泉

やや茶色がかった透明なお湯です。大浴場が二つあって、時間帯によって男女が入れ替わります。ちょうど良い温度のお湯でした。匂いもなかったです。湯疲れしないので、何度も入ってしまいました。

お食事

夕食は、3種類から予約時に選びます。私達は、金目鯛のしゃぶしゃぶプランを選択しました。他には、大島磯鉄板焼きプランと大島特産の椿油を使った椿フォンデュプランがありました。最後のご飯が、サザエの炊き込みご飯と珍しいご飯でした。量はちょうど良く、旅館のようなたべきれてない量ではありませんでした。若い人には、ちょっとものたりないかも。お刺身とか大島郷土料理のべっこう寿司などを単品で追加できると良いのですが。予約で注文できても当日は、できません。おそらく、調理できる人が常駐していないのでしょう。予約分を作り置きか、仕出しの会社から仕入れているのかなと思います。

大島温泉ホテル 夕食

浴衣の袖を留めておくゴムを貸してくれます。これは、ありがたい。お料理に袖先が入ってしまって汚すことを防止できます。

大島温泉ホテル 夕食

夕食の食堂からは、三原山の景色が眺められます

大島温泉ホテル 食事
会場

朝食は、バイキング。まぁまぁの種類はあります。こちらも仕出し屋さんのお料理を温め直しているのかなぁという感じ。

大島温泉ホテル 朝食

ドリンクの部屋への持ち出しは禁止です。最近のビジネスホテルでも、コーヒー一杯くらいは、お部屋へテイクアウトできるのに慣れているのでちょっと不満。有料でもいいから、トレッキングに水筒へ入れていきたい人のために、ボトリングできる給湯器なんかがあるといいのになと思いました。

大島温泉ホテル ドリンク

屋上の三原山テラス

屋上部分に、テラスがあって三原山側も海側も見ることができます。夜には、星空観察もできるそうですが、宿泊した日は、曇っていてみることができませんでした。

三原山テラス

山側の景色

三原山テラス 山側

海側の景色

三原山テラス 海側

館内の様子

フロント

大島温泉ホテル フロント

売店

大島温泉ホテル 売店

宿泊のお部屋の廊下

大島温泉ホテル廊下

懐かしいスピーカー

学校のスピーカーってこの形だったなぁと懐かしい。

スピーカー

階段の木の手すりとか、縁の人工石なんかの感じも昭和の建物である懐かしポイント

大島温泉ホテル 階段

お部屋にあった椿の折り紙

椿 折り紙

宿泊日: 2023年4月1日,2日

大島のサクラ株 国指定特別天然記念物 オオシマザクラ

大島のサクラ株

東京都大島町にあるオオシマザクラ。推定樹齢は800年といわれています。1952年(昭和27年)

に国の特別天然記念物に指定されています。

もともとは、一本の巨木だったのが、大枝が地面についてそこで根を張り、元株と3つの子株に分かれています。桜は「歩く」って言われるのがこの状態。

株が分かれている様子を図にした現地の看板。どのように4株になったのか、わかりやすいです。

大島のサクラ株できかた

元株

根元には、支柱が沢山あり、サイボーグのような状態です

大島のサクラ株

東株

大島のサクラ株東株

西株と北株

大島のサクラ株西株北株

舗装した道路のすぐ脇にあり、見学しやすい場所でした。山の中を分け行って見に行くことはないです。斜面にあるサクラ株の脇には、見学用の木道も設置してあり丁寧な説明看板もありました

大島のサクラ株

オオシマザクラの絶景 伊豆大島自生の桜 東京都大島町

三原山とオオシマザクラ

もう思い残すことないと思えるほどの絶景に出会えました

オオシマザクラの花が咲く時期に大島へ行ってきました

宿泊した大島温泉ホテルの部屋から絶景が。部屋に入った瞬間から目に飛び込んできた景色。そう、これこれ!この景色が見たかった!もうこの景色を見たら、思い残すことないと思ってしまいました

三原山の裾野に広がる新緑美しい樹海。その中に点々と大島桜の花色が浮かんでいます。ポツポツとあかりが灯っているかのよう。オオシマザクラの花は白色です。

三原山とオオシマザクラ

翌日は、雨が降ってしまい三原山に雲がかかってしまいました。到着日は晴れててよかった。

樹海の中に点々とオオシマザクラが咲いている写真を、以前受けた講座で見ました。それ以来、ずっと同じ景色が見たいと3年間。やっとかないました

訪問日 2023年4月1日

河津桜原木 静岡県にある早咲き品種の原木

ソメイヨシノよりも早く咲出して満開になる河津桜。河津町の町の木に指定されています。河津川沿いや駅周辺に約200本植えられていて観光名所となっています。河津桜は、個人宅の庭先にある1本の木から広まったのです

河津桜は、1995年(昭和30年頃)に発見されました。早咲きのオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されています。ピンク色が濃くて華やかです。

JR河津駅から徒歩15分くらい。バスもあるのですが本数が少ないので徒歩のほうが早いです。桜まつり時期の周辺道路は大混雑するので電車でのアクセクが便利です

この木の前にライブカメラが設置してあり、花の咲き具合を確認できます。桜の花期時期限定

河津桜まつり情報局

河津桜 原木

住所 静岡県賀茂郡河津町田中

河津桜まつり公式サイト

個人のお宅なのに、観光客押し寄せてしまってすみません。見せていただいてありがとうございます。人が沢山来ると、うるさいから木を切ってしまうという方もいますからね。

お宅の前の道路には、警備員さんも配置されていました。横断歩道を渡る人と車の交通整理をされていました。町で雇っているのかな。

歩道を渡った先でみかんジュースを売っていたので購入しました。生のみかんを絞っています。美味しかった。このような物販の利益で原木の維持費にあててくれたらと思います。

みかんジュース