日本庭園の通説と誤解 第2回 廃物利用のデザイン

京都造形芸術大学藝術学舎での尼﨑博正先生の講義をまとめたものです。(2018年2月7日)

現在ある庭の姿で作庭時の意図はわからない、理解の間違いを起こしているかもしれないという例を挙げられました。

銀閣寺(慈照寺)銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台

銀閣寺は、室町時代の足利義政が建立。しかし、銀沙灘と向月台は、室町時代以降に造られました。白川砂を用いた幾何学的でモダンなデザインと評価されている。しかし、これは、庭園内の池の浚渫作業で出た砂の廃物利用であろうという見方を先生はしています。昭和54年に行われた浚渫作業で池底から白川砂がでてきたからです。山から池に流れてきて体積したものです。10cm〜60cm体積していました。浚渫した土砂を運び出すのは大変な作業です。近くで利用したほうが楽だといことで、できたのだと。考えられ練られて造られたのではなく、廃物をどうにか利用して造られたとは知りませんでした。

修学院離宮の大刈り込み

園内の高台にある隣雲亭に上がる道の両脇にある大刈り込み。常緑樹を植えて、刈り込んであります。パンフレットには、「高い刈込みの間をぬって急な石段を上る。両側の刈込みで視界をさえぎられ、石段がカーブしているので上りつめたところに何が待ち受けているのか見当もつかない趣向が奇抜である」と説明されています。これは、現在ある姿の解釈です。この大刈り込みは、明治時代になってから植えられたもの。1682年の絵図では、松林で見通しの良い状態でした。目隠し的な趣向はなかったのです。

桂離宮の笑意軒(しょういけん)

第7代家仁親王(やかひとしんのう)によって修復と改変がされました。笑意軒の腰壁には、びろうどと金が貼り付けてあります。桂離宮らしいデザインと称されています。これは、家仁親王のアイデアから生まれたデザインです。当時、虫食いで傷んだ
びろうどをはがして、金紙を貼ってみたら良かったと記録が残っています。偶然できた斬新なデザインなのです。家仁親王のセンスがあったのですね。

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飯塚裕美
カエラ
飯塚裕美(蛙号 カエラ)
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