シンポジウム よみがえった旧吉田茂邸 市民にとって再建することの意味とは パネリスト2

二人目は、茨城大学教授小泉晋弥氏。東日本大震災時に津波で流されてしまった岡倉天心の五浦六角堂の再建のお話しです。

土台だけが残った

六角堂土台
平成23年(2011)の東日本大震災時に発生した、高さ10mの津波で六角堂は流されてしまいました。平成2年(1990)に補修工事をした土台だけが残されました。

再建の決意表明

被災後すぐに東京美術商共同組合から600万の寄付の申し出がありました。それを受けて、5月には茨城大学の岡倉天心記念六角堂等復興基金を作り募金を呼びかけました。メディアの報道や有名人のSNSの拡散効果もあり、約500件2800万の募金が集まりました。5月には再建の決意表明をします。

再建に向けて

明治38年(1905)年の創建当時の姿に復元する方針を決めました。昭和38年(1963)の改修時に当初の姿から変えられてしまっていたのです。
調査、再建会議を経て2012年の4月には竣工、一般公開となりました。

再建したのは、建物でなく五浦の風景

岡倉天心は、日本美術の原点は中国文人文化にあると主張していました。服装も中国風にしていました。
六角堂を再建してみると、2つの景観ができあがりました。
片側から見ると日本庭園が

六角堂日本庭園
もう片側から見ると中国文人庭園が表現されていたのです。

六角堂中国庭園
五浦一体が天心の考えるユートピアであった事がわかったのです。六角堂があることで文化的風景となっているのです。

今日のミチガエル

六角堂が流されてしまった事、再建された事は報道で知っていました。再建されたと聞いたとき、早いなと思っていました。このような経緯で再建が進んだことを知る事ができました。
五浦を訪れてみたくなりました。

投稿者プロフィール

飯塚裕美
カエラ
飯塚裕美(蛙号 カエラ)
お庭めぐりスト
カエルグッズ大好きのカエラー 樹木医
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