シンポジウム よみがえった旧吉田茂邸 市民にとって再建することの意味とは パネリスト1

工学院大学教授後藤治氏による基調講演の後、4人のパネリストによるお話しがありました。一人目は、旧吉田茂邸の再建と題して大磯町参事 佐川和裕氏によるお話しです。佐川氏のお話をまとめました。

別荘地としての大磯の始まり

大磯海水浴

海水浴が医療行為としてみなされて、明治18年(1885)に大磯の海岸に海水浴場ができます。長期滞在して療養するために別荘ができはじめます。長期に滞在するには、財力がないとできません。財政界の大物達が集まることになります。

吉田茂邸

吉田邸上空から

吉田茂の養父 吉田健三が明治17年(1884)に土地を購入し、別荘を建てたのがはじまりです。大磯の海水浴場が開かれる前から、また東海道線の開業(1887年)前から所有されていて、大磯の別荘文化の原点ともいえる存在です。昭和20 年(1945)より本邸とし、生活していました。昭和22年(1947)に増築され、昭和37(1958)から39年にかけて、吉田五十八設計の新館の建築、増築改修がおこなわれました。海外の人を私邸に招き、迎賓館としての利用もされました。

火災で焼失

吉田邸火災

吉田茂の死後、大磯プリンスホテルが購入し、別館として利用していました。死後20年は手を加えないとの契約でした。平成17年(2005)に西武から、行政で購入の打診がありました。国は整備が難しいとしたため、神奈川県が整備する方針を発表しました。そんな中、平成21年(2009)火災によって焼失。ほぼ全焼状態に。

再建まで

再建した吉田邸

大磯町は再建にむけて動き、平成23年(2011)には再建説明会を開催。募金活動も行われました。財団法人吉田茂国際基金から解散後の残余金、2億7千万超の寄付もうけました。国と県からの交付金も使用。再建費用は、総額約5億4100万かかりました。神奈川県が敷地を公園として整備し、建物は大磯町の所有となっています。
2016年5月には建物工事が完了し、今年2017年4月1日に一般公開へ。当初来場者3万人を目指していたが、11月22日時点で8万人の来場者がありました。

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飯塚裕美
カエラ
飯塚裕美(蛙号 カエラ)
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