原三渓の美術 伝説の大コレクション 横浜美術館[鑑賞レポート2019年8月27日]

横浜市民は知らない人はいないはずの原三渓(さんけい 本名:富太郎)。生糸貿易の実業家でした。近代数寄者の一人として茶の湯たしなむ文化人、若い芸術家のパトロンでもあり、古美術のコレクターでもありました。

三渓の死後、散逸したコレクションを集めて、横浜で美術展を行うことは、意義のあることだなと思いました。横浜で事業を行っただけでなく、関東大震災後の復興にも尽力された方です。横浜美術館30周年記念と銘打っているだけあります。
展示は5部構成になっています。1 三渓前史・2 コレクター三渓・3 茶人三渓4 アーティスト三渓5・パトロン三渓の5つです。

1三渓前史

岐阜出身の青木富太郎。原家に婿養子に入っているので、実家は青木姓でした。
祖父で南画家の高橋杏村の作品や伯父の高橋抗水の南画が展示してありました。三渓の美術に対するルーツがわかって面白いです。こういう絵を見て、学んで育ったんだなと思いました。

2 コレクター三渓

原家に入籍し、家業の事業のかたわら、美術品の収集が始まります。古代から近世の作品を三渓のお眼鏡にかなったものを購入しています。
ポスターにも使用されていた国宝「孔雀明王像」は展示が終了していて見られなかったのは残念でした。
精細で美しい作品が多いです。派手な感じのする作品はありません。そんな中で、江戸時代初期の「南蛮屏風」は大型で金も使っていて目にとまりました。ポルトガル人でしょうか、外国の船と外国人が描かれています。外国との貿易を想起しました。生糸の貿易をしていた三渓は共感を覚えたのではないかと想像しました。

3 茶人三渓

益田鈍翁や高橋箒庵といった近代数寄者との交流を通じてで茶の湯の世界に入っていきます。茶の湯に使う茶道具の購入も増えていきました。
3部は三渓が収集し愛用していた茶道具の展示です。
奈良時代の伎楽面というお面には驚きました。お面が茶道具?床の間に飾ったのでしょうか?

4 アーティスト三渓

三渓自身も絵を描いていました。関東大震災後に美術品の収集や作家への支援を自粛する頃からとのことですから、心を整える意味もあったのではないかなと思います。
作品は、やわらかな墨や絵の具の濃淡で描かれています。輪郭をハッキリと描かない優しい絵になっています。
三渓園の造園も三渓が手がけたもの。三重の塔など重要文化財に指定されるような建物を10 棟以上配しています。ここに蓮が植えられている理由がわかりました。蓮は故郷の岐阜の名産品。茶席でも提供される食品でした。三渓の絵にも蓮の花が多く描かれていました。

5 パトロン三渓

近代日本画家を中心にパトロンとして支援していました。支援していた作家の作品が展示してありました。
橋本雅邦、下村観山、横山大観、菱田春草、今村紫紅、安田靫彦、小林古径、前田青邨、小茂田青樹の作品です。
一人、二人ではないところがすごい。日本画の一派を作ってしまうくらいの支援です。
近代数寄者の古美術のコレクションの中には、私設美術館を建ててそこに収められているものもあります。住友家のコレクションを管理している泉屋博古館、根津嘉一郞の根津美術館、岩﨑彌之助、小彌太の静嘉堂文庫美術館など。三渓も美術館建設を企画してたそうです。しかし、関東大震災で断念。コレクションが横浜美術館で集められ、展示されたことは三渓の本望でしょう。
私が大金持ちだったら、やってみたい事を全部成していた三渓。画家のパトロンとしての支援や自分好みにする大規模な造園、古建築の所有と利用がそうです。ただ自分ためでなく一般の方々にも庭園を開放するなど公共利益を考えていた事には、とても尊敬します。

投稿者プロフィール

飯塚裕美
カエラ
飯塚裕美(蛙号 カエラ)
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カエルグッズ大好きのカエラー 樹木医
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